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歴史から投射する現在の広告

著者:GMCブランド戦略室

「広告」と聞いて何を思い浮かべますか?

電車の中吊り、デジタルサイネージ、駅構内のパネル、テレビコマーシャル、ラッピングトレーラー、雑誌広告、新聞広告、web広告、ダイレクトメール・・・

数え切れないほどの広告が私たちの身の回りには溢れています。

広告とは、「商品や興行物などについて、多くの人に知られるようにすること」(出典:広辞苑第六版)です。ただそれだけでは説明ができないので、その歴史からひもといていきましょう。


広告の歴史

古くは江戸時代から、日本には広告が存在していました。店の軒先に看板を掲げたり、引札(現代でいうチラシ)を配布したり……マスメディアを用いずともできる広告は、江戸時代には活発に行われていたのです。
印刷技術が発達した明治・大正時代には色鮮やかなポスターが展開され、皆が憧れる西欧化した生活をいきいきと描き出しました。
昭和時代には、戦争の影響で広告は冬の時代を迎えますが、1945年8月15日、終戦からの復興を描いた広告は、当時の人々の活力となったでしょう。
また、1964年の東京オリンピックを契機にテレビが普及し4大マスメディア(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)の時代がやってきます。
(出典:広告とマーケティングの資料館

現代ではスマートフォン、タブレットなどが出現し、2014年に初めてネット広告費が1兆円を超えるなど新たな広告掲載の場として注目されています。
(出典:電通 日本の広告費2014年)

広告の持つ課題

歴史から、新たなデバイスが出現することによって広告は変化することが読み取れるように思います。広告は作り手の想いを様々な人に伝えてくれるメッセンジャーです。
より多くの人に作り手の想いを伝えたいからこそ、その時代に対応した広告が多く作られるのです。
そういった広告で多くの人に認知され、購買の選択肢の一つになることが作り手の願いであることには間違いないでしょう。

しかし、ここでひとつ問題があります。 「広告で認知される」と「購買の選択肢となる」ことの間には大きな隔たりがあるのです。
なぜなら、目にした広告が気になっても覚えておくための作業をしたり、覚えていられる程興味深いものでなければ忘れられてしまうからです。広告はその偶然に頼るメディアだと言ってしまうのは早計でしょうか。
私たちは、広告を見るために外出するわけでもなく、テレビコマーシャルを見るためにテレビを視聴するわけではありません。
広告は何か目的に向かって行為する際、付随する副次的なものなのです。
広告が購買につながらなければ、それは日常生活に埋没してしまうことになってしまいます。


情報を熱望する消費者

では、どうすれば広告が有効なものになるのでしょうか。
答えは簡単、商品の情報を必要としている人の前に広告を示すことができれば良いのです。
特に正確で頼りになる情報を必要としている人に対しては「書籍」という形の広告お勧めいたします。
書籍は他の広告に比べて情報量が多く、情報を必要とする人に金銭的負担をかけます。
その要素により、他の広告に比べてハードルが高いように思われがちです。
しかし、そのハードルを越えてまで書籍を読んで情報を手に入れたいという「熱望」があります。なんとなく広告を見た人と、情報に対する熱量が異なっています。

また、インターネットで得た情報に比べ正確性が格段に違います。書籍であるということが与える安心感もまた、書籍という形の広告の武器なのです。
様々なデバイスが出現し、情報を発信することは比較的容易になりました。しかし、情報の正確性を担保できているとは限らないのです。

スマートフォン、タブレット、と様々に新しいデバイスを多くの人が用いるようになった現在、「書籍」という形で広告を出してはいかかでしょう。
以前とはまた違った意味合いで、「書籍」は有効な広告となってくれるでしょう。

 

幻冬舎メディアコンサルティング

二宮 彩樺

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